もくじ
1. はじめに
皆さん、こんにちは。特定社会保険労務士の山根敦夫です。
近年、企業において様々なハラスメント対策が進められる中、カスタマーハラスメント(通称「カスハラ」)への対応が新たな課題として浮上しています。厚生労働省の調査によれば、労働者の約10人に1人が過去3年間にカスハラを経験しており、パワーハラスメントに次いで2番目に多いハラスメントとなっています。
2025年4月1日、東京都や北海道をはじめとする自治体でカスハラ防止条例が施行され、企業のカスハラ対策は新たな段階に入りました。そして2025年6月4日、労働施策総合推進法等の一部を改正する法律(通称:カスハラ対策法)が参議院本会議で可決・成立し、カスハラ対策が企業の法的義務となることが決定しました。
この法改正により、これまで努力義務とされていたカスハラ対策は、2026年中の法施行をもって雇用管理上の措置義務として位置づけられます。パワハラ、セクハラ、マタハラと同様に、企業には具体的な防止措置が法的に求められることになります。
本記事では、カスタマーハラスメントの基本的な理解と、法制化が現実となった現状を踏まえた企業が取るべき対策について解説します。特に、法施行を見据えた準備の重要性と具体的な対応策について詳しく説明いたします。中小企業の経営者や人事担当者の皆様が、従業員を守りながら法的義務を適切に履行し、健全な企業経営を続けるための参考になれば幸いです。
2. カスタマーハラスメントとは
2-1. カスハラの定義と実態
カスタマーハラスメント(カスハラ)とは、Customer(顧客)からのハラスメントを指す言葉です。正確な法律上の定義はまだ確立されていませんが、厚生労働省の「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」では、以下のように整理されています。
カスハラは、単なる不当なクレームだけでなく、要求を伴わない嫌がらせも含まれます。例えば、許可なく従業員の動画を撮影してSNSへ投稿するような行為も該当します。
厚生労働省の「職場のハラスメントに関する実態調査(2024年5月公表)」によれば、労働者の10.8%が過去3年間にカスハラを受けた経験があると回答しています。これはパワハラ(19.3%)に次いで多く、セクハラ(6.3%)を上回る数字です。
2-2. カスハラの類型と特徴
カスハラは大きく「B to C」と「B to B」の2つの類型に分けられます。
B to C(Business to Consumer)は、小売店における客から店員に対する暴言など、企業と消費者の間で発生するものです。
一方、B to B(Business to Business)は、取引先企業の担当者から自社の担当者に対する暴言など、企業間取引の中で発生するものです。一般に「カスハラ」と聞くとB to Cをイメージすることが多いですが、B to Bも存在することに注意が必要です。
3. カスハラの判断基準
3-1. 「中身」と「態度」による判断
カスハラかどうかの判断は、要求等の「中身」と「態度」の2点から考えることが重要です。
まず、要求の中身が著しく妥当性を欠く場合、例えば「ごく簡単な交換や修理で済むのに、多額の金銭を要求する」ようなケースはカスハラに該当します。
また、要求の中身には妥当性があっても、その態度が不相当である場合、例えば「怒鳴りつける、相手の胸ぐらをつかむような形で対応を迫る」ような場合もカスハラに該当します。
注意すべき点として、たとえ企業側にミスがあった場合でも、カスハラは許されないという点があります。何か要求できる場合であっても、その手段や態度には一定の社会的なルールがあるためです。
3-2. 正当なクレームとの区別
すべてのクレームがカスハラに該当するわけではありません。例えば「購入した商品が壊れていたから交換してほしい」「頼んだ料理と違うものが提供されているので、正しいものを作り直してほしい」といった要求は、内容も態度も適切であれば正当なクレームであり、消費者の権利として尊重されるべきものです。
カスハラかどうかを定義づけることは、正当な要求・クレームとは何かを明らかにすることでもあります。企業としては、正当なクレームには誠実に対応しつつ、カスハラに対しては毅然とした態度で臨む姿勢が求められます。
4. カスハラ対策の必要性
4-1. 企業の安全配慮義務
企業がカスハラ対策に取り組む必要性として、まず挙げられるのが「従業員を守る責任」です。労働契約法第5条では「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」と規定されています。これは「安全配慮義務」と呼ばれ、企業(事業主)には従業員の「安全」に「配慮」する義務が法的に存在します。
カスハラは被害者の心身を傷つけるものであり、企業がカスハラを放置し、結果として従業員が傷つけば、安全配慮義務違反を理由として、企業は損害賠償責任を負う可能性があります。実際に、医療法人社団こうかん会(日本鋼管病院)事件では、病院に勤める看護師が入院患者から暴行を受けて精神的な障害を負った際、病院の安全配慮義務違反が認められました。
4-2. 顧客と企業への影響
カスハラ対策は、顧客と企業双方の利益を守る観点からも重要です。
カスハラが蔓延すると、怒鳴り声が聞こえたり、加害者への対応で他の顧客が待たされたりするなど、店舗の雰囲気が悪化します。特に消費者の場合、飲食店でカスハラの怒鳴り声が聞こえる環境では、楽しく食事をすることができないなど、消費者としての利益が損なわれることになります。
また企業にとっては、カスハラを理由とした従業員の退職リスクも看過できません。パーソル総合研究所の調査によれば、2021年にハラスメント(カスハラに限らない)が理由で離職した人は約86.5万人にのぼります。人手不足が言われる中、貴重な人材を失うことは企業経営に大きな打撃となります。
さらに、カスハラへの特別対応によって、他の業務の停滞や金銭的な損失も考えられます。企業がカスハラに対して適切な対策を講じることは、顧客満足度の向上と安定した企業経営につながるのです。
5. カスハラに関する法制化の動向
5-1. 自治体の条例制定状況
2025年5月現在、カスハラ防止に関する法制化、条例化の動きが全国で進んでいます。
東京都では2025年4月1日に「カスハラ防止条例」が全国で初めて施行されました。同条例では、カスハラを「顧客等から就業者に対し、著しい迷惑行為であって、就業環境を害するもの」と定義しています。なお、著しい迷惑行為とは、「暴行、脅迫その他の違法な行為又は正当な理由がない過度な要求、暴言その他の不当な行為」と規定されています。
北海道も東京都に続いて「カスハラ防止条例」を制定し、2025年4月1日から施行しています。北海道の条例では「従業者等に対する顧客等からの要求、言動等のうち、その態様や程度が社会通念上不相当なものであって、当該要求、言動等により、従業者等の就業環境が害される行為」と定義されています。
また、三重県桑名市でも「カスハラ防止条例」が成立しており、違反者には警告や氏名公表などの罰則規定も設けられています。さらに愛知県でもカスハラ防止条例の制定に向けた準備が進んでいます。
5-2. 国レベルの法整備(カスハラ対策法の成立)
カスハラ対策が法的義務となりました。 2025年6月4日、「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律等の一部を改正する法律」(通称:カスハラ対策法)が参議院本会議で可決・成立しました。この法律は2026年中に施行される予定です。
これにより、従来努力義務とされていたカスハラ対策が、企業の法的義務となります。具体的には、労働施策総合推進法が改正され、カスハラ対策が事業主の「雇用管理上の措置義務」として位置づけられることになりました。
現在、パワハラ、セクハラ、マタハラなどのハラスメントについては、各法律で企業に防止措置が義務付けられています。防止措置の内容は厚生労働省の指針(「パワハラ指針」等)で具体化されており、方針の明確化と周知・啓発、相談体制の整備、発生時の対応などが含まれています。
カスハラについても、同様の枠組みで防止措置義務が課せられることになります。これまではパワハラ指針の中で、カスハラについても相談先を定め、適切に対応できるような枠組みを整えることが「望ましい」とされていましたが、法改正により義務化されることで、企業の対応責任が明確化されました。
6. 企業が今取り組むべきカスハラ対策
6-1. 対応方針と体制づくり
2026年中の法施行を見据えた準備が急務です。 カスハラ対策法の成立により、企業には法的義務としてカスハラ対策が求められることになりました。既に企業には安全配慮義務が存在し、実際に裁判でもカスハラを放置した企業の責任が問われるケースが出てきていますが、今回の法制化により対策の重要性がさらに高まっています。
法施行後は、パワハラ防止措置と同様に、以下の対策が企業に義務付けられると予想されます。
具体的な対策として、まず対応方針を定めて社内に周知し、具体的な対応ルールを従業員に教育することが重要です。例えば、コールセンターでのわいせつ電話への対応や、大声を出す顧客への対応方法などを明確にしておくことで、従業員の心身の安全を確保することができます。
また、一人で対応させず周囲がフォローに入るような体制を整えることや、カスハラを受けた従業員からの相談体制を整備することも、今後は法的義務として求められることになります。
6-2. 具体的な防止策と事例
NHKサービスセンター事件の判例では、コールセンターの従業員が電話対応の中でわいせつ発言や暴言等を受けたことについて、会社側がそうした暴言等に触れさせないようにする安全配慮義務に違反したと主張されました。
しかし、わいせつ電話については直ちに上司に転送することや、大声については電話のヘッドセットを外すことが会社から認められているなど、コールセンター従業員の心身の安全を確保するためのルールを定め、それに沿った対応をしていたため、安全配慮義務違反は否定されました。
この事例は、法施行後の企業対応を考える上でも重要な示唆を与えています。法的義務として求められる防止措置を適切に講じることで、企業の責任を果たすことができる一方、対策が不十分な場合は法的責任を問われるリスクが高まることを意味しています。
7. まとめ
カスタマーハラスメント(カスハラ)とは、正当なクレームではない不当なクレームと顧客からの嫌がらせを指します。厚生労働省の調査によれば労働者の約10人に1人が経験しており、パワハラに次いで2番目に多いハラスメントとなっています。
2025年4月には東京都や北海道で「カスハラ防止条例」が施行され、2025年6月4日には労働施策総合推進法等の一部を改正する法律(カスハラ対策法)が成立しました。同法は2026年中に施行される予定で、カスハラ対策が企業の法的義務となります。
企業がカスハラ対策に取り組む必要性としては、従業員を守る「安全配慮義務」があること、顧客満足度の向上につながること、従業員の離職防止や業務の円滑な遂行といった企業経営上のメリットがあることに加え、法的義務としての対応責任が挙げられます。
法施行に向けて、対応方針の明確化と周知、相談体制の整備、発生時の適切な対応など、今から準備を進めることが重要です。特に、カスハラが発生した際の具体的な対応ルールを定め、従業員に教育しておくことで、安全配慮義務違反のリスクを減らすとともに、法施行後の義務履行に備えることができます。
法制化により企業のカスハラ対策は新たな段階に入りました。 企業として従業員を守りながら、顧客満足度も高める適切なカスハラ対策に、今から計画的に取り組んでいきましょう。
ハラスメント対策でお悩みの際は、ぜひ社会保険労務士にご相談ください。皆さまの職場づくりをサポートさせていただきます。
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