「経営者が知っておきたい労働法:適切な労務管理のための基礎知識」

1. はじめに

皆さん、こんにちは。特定社会保険労務士の山根敦夫です。

中小企業の経営者や人事担当者の方々と接する中で、多くの方から労務管理に関する不安の声をお聴きします。特に最近は、働き方改革関連法の施行により、労務管理の重要性が一層高まっています。

また、雇用関係助成金の申請においても、ますます審査基準が厳格化されてきており、労働関係法令が遵守されていない場合は助成金の申請に大きく影響を及ぼします。そのため、適切な労務管理は、法令遵守の観点だけでなく、企業の経営戦略としても重要な位置づけとなっています。

そこで今回は、中小企業経営者の皆さんに最低限押さえていただきたい労務管理の基礎知識と、実務上のポイントについて、できるだけ分かりやすく解説させていただきます。

2. 労働契約の基本を押さえよう

2.1 労働契約とは何か

労働契約は、従業員が働き、使用者がその対価として賃金を支払うという、一見シンプルな契約です。しかし実務上は、様々な注意点があります。

最も重要なのは、契約内容の明確化です。労働基準法では、労働条件を書面で明示することが義務付けられています。実務上よく見かけるのが、「とりあえず口頭で採用を決めて、書面は後日」というケースですが、これは避けるべきです。なぜなら、後から労働条件を巡って争いが生じるリスクが高いからです。

労働条件の明示は、労働契約書や労働条件通知書で行います。特に、労働時間や賃金に関する事項は、細かく記載することをお勧めします。例えば、「残業が発生する可能性がある」という場合、その旨と残業代の計算方法まで明記しておくことで、後々のトラブルを防ぐことができます。

2.2 就業規則の重要性

従業員が10人以上の企業では、就業規則の作成が義務付けられています。しかし、たとえ10人未満の企業であっても、就業規則を作成しておくことを強くお勧めします。

その理由は、就業規則が「職場のルールブック」として重要な役割を果たすからです。例えば、遅刻や欠勤に関するルール、休暇の取得方法、残業の申請手続きなど、日々の労務管理に必要な事項を明確に定めることができます。

また、就業規則は労働契約の内容を補完する役割も果たします。例えば、懲戒処分の種類や事由を就業規則に定めておかないと、問題のある従業員に対して適切な処分を行うことができません。

就業規則作成時の重要なポイントは、従業員への周知です。単に作成するだけでなく、従業員に周知させることで、就業規則の内容が労働契約の内容となります。周知方法としては、従業員に書面を配布したり、社内サーバーに保存して閲覧できるようにするなどの方法があります。

2.3 採用時の注意点

採用は企業の自由な判断に委ねられていますが、いくつかの重要な制限があります。例えば、性別や年齢による差別は禁止されています。「女性は結婚したら辞めそうだから」といった理由で採用を見送ることは、男女雇用機会均等法違反となります。

また、採用内定についても注意が必要です。内定を出した後に取り消す場合、解雇に関する規制が適用されます。そのため、内定取消の事由は、あらかじめ就業規則などで明確にしておく必要があります。

試用期間制度についても、多くの企業で誤った理解が見られます。「試用期間中なら理由を問わず解雇できる」と考えている経営者も多いのですが、これは誤りです。試用期間中の解雇(本採用拒否)も、客観的で合理的な理由が必要です。

3. 労働時間管理のポイント

3.1 法定労働時間と残業規制

労働時間管理は、近年特に注目されている分野です。原則として、1日8時間、週40時間を超えて労働させることはできません。この規制は、従業員の健康確保と、ワークライフバランスの実現のために設けられています。

実務上よく見られる誤りとして、「残業代を払っているから残業時間に制限はない」という認識があります。しかし、残業をさせるためには、適切な手続きを踏む必要があります。具体的には、36協定(サブロク協定)の締結と届出が必要です。

3.2 三六協定の正しい締結方法

36協定について、「形式的な書類に過ぎない」と考えている経営者も多いのですが、これは大きな誤りです。36協定は、残業をさせる際の重要な労使間の取り決めであり、その締結・運用には細心の注意が必要です。

まず、従業員の過半数代表の選出方法が重要です。「役職者を自動的に選んでいる」「管理者が指名している」といったケースをよく見かけますが、これらは無効です。投票や挙手などの方法で、民主的に選出する必要があります。

また、延長時間の上限(原則月45時間、年360時間)の遵守も重要です。この上限を超える場合は「特別条項」が必要ですが、安易に設定すべきではありません。なぜなら、長時間労働は従業員の健康障害のリスクを高め、企業にとっても様々なリスクとなるからです。

3.3 変形労働時間制の活用

繁忙期と閑散期がはっきりしている企業では、変形労働時間制の活用をお勧めします。例えば、1年単位の変形労働時間制を導入すれば、繁忙期の残業を減らしつつ、閑散期の労働時間を短縮することが可能です。

ただし、変形労働時間制の導入には慎重な検討が必要です。特に、対象期間における総労働時間の管理が重要です。単に繁忙期の残業を減らすだけでなく、閑散期の労働時間短縮もしっかりと実施する必要があります。

4. 賃金管理で押さえるべきこと

4.1 賃金支払いの基本原則

賃金の支払いには、「通貨払い」「直接払い」「全額払い」「毎月1回以上払い」「一定期日払い」という5つの基本原則があります。これらの原則には一定の例外がありますが、安易な例外適用は避けるべきです。

例えば、「従業員の同意があるから、立て替えた経費を賃金から控除しても良い」と考えがちですが、これは誤りです。賃金からの控除には、税金や社会保険料など法令で定められたもの、または労使協定で定めたもの以外は認められません。

4.2 残業代の計算と管理

残業代の計算は、多くの企業で頭を悩ませている問題です。基本的な計算方法は、通常の時間単価に割増率(25%以上)を乗じるというシンプルなものですが、実務ではいくつかの注意点があります。

例えば、残業代の基礎となる賃金の範囲です。基本給は当然含まれますが、職務手当や資格手当なども含める必要があります。一方、通勤手当や家族手当は除外できます。この区分を誤ると、残業代の未払いが発生してしまいます。

また近年、「固定残業代制」を採用する企業が増えていますが、この制度も正しい運用が必要です。固定残業代の金額と対応する時間数を明確にし、実際の残業時間がそれを超えた場合の追加支払いルールも定めておく必要があります。

4.3 賞与・退職金制度の設計

賞与や退職金は法的な支給義務はありませんが、一度制度化すると変更が難しくなります。そのため、制度設計時には将来を見据えた慎重な検討が必要です。

例えば、賞与の支給基準は明確にしておくべきです。「会社の業績と個人の成績を勘案して決定する」という漠然とした規定ではなく、具体的な算定方法を定めておくことをお勧めします。

退職金についても同様です。特に、自己都合退職と会社都合退職で支給率に大きな差を設ける場合は、その根拠を明確にしておく必要があります。

5. 知っておきたい従業員の義務と規律

5.1 職務専念義務の具体的内容

従業員には職務専念義務があります。これは単に「きちんと仕事をする」という以上の意味を持ちます。例えば、就業時間中の私的なスマートフォンの使用や、SNSでの業務関連の投稿なども、場合によっては職務専念義務違反となります。

特に最近は、テレワークの普及により、職務専念義務の在り方も変化しています。在宅勤務中の従業員の働き方について、具体的なルールを設定しておくことが重要です。

5.2 実効性のある服務規律の作り方

服務規律は、単なる禁止事項の列挙ではうまく機能しません。重要なのは、なぜそのルールが必要なのか、従業員が理解できる内容にすることです。

例えば、「職場での私語を禁止する」という規定よりも、「お客様への対応を最優先し、業務に支障がある私語は慎む」という規定の方が、従業員の理解を得やすいでしょう。

5.3 懲戒処分の適切な進め方

懲戒処分は、最終的な制裁措置ではなく、従業員の改善を促すための制度です。そのため、段階的な対応が重要です。

例えば、遅刻を繰り返す従業員がいた場合、いきなり減給や出勤停止の処分を行うのではなく、まず口頭注意、次に書面での注意・指導、それでも改善が見られない場合に懲戒処分を検討する、という流れが適切です。

6. トラブルを防ぐ雇用終了の実務

6.1 円満な退職に向けた対応

従業員から退職の申し出があった場合、まずは丁寧な面談を行うことが重要です。退職の理由や時期について話し合い、可能であれば改善策を提案することで、優秀な人材の引き止めにつながることもあります。

また、退職時の実務処理も重要です。各種証明書の発行、社会保険の手続き、退職金の計算など、漏れのない対応が必要です。特に、退職者から求められた場合の退職証明書の発行は、法的な義務となっています。

6.2 解雇時の留意点

解雇は最も慎重な対応が必要な事項です。「問題のある従業員だから解雇は当然」と考えがちですが、実際には、相当な理由がない限り解雇は認められません。

例えば、能力不足を理由とする解雇の場合、まずは教育訓練や配置転換などの措置を講じる必要があります。また、解雇を行う場合でも、原則として30日前の予告か、予告手当の支払いが必要です。

7. まとめ

適切な労務管理は、従業員のモチベーション向上や生産性向上につながるだけでなく、企業としての責務でもあります。本日ご説明した内容は、いずれも労務管理の基本となる重要事項です。

社内の規則や制度の運用状況を今一度ご確認いただき、必要に応じて見直しをご検討ください。特に、就業規則の内容と運用実態に差がある場合は、早めの是正をお勧めします。

なお、各種手続きや規程の見直し、雇用・労働分野の助成金申請にあたっては、事前に専門家への相談をお勧めします。ご不明な点がございましたら、お気軽に当事務所までご相談ください。